柏倉九左衛門家ガイドサイト

柏倉九左衛門家KASIWAKURA KUZAEMON KE

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柏倉九左衛門家は、今から約360年前、江戸時代初期頃に山形市西部の柏倉門伝地区(かしわぐらもんでんちく)から移り住んだと伝えられ、江戸時代の中頃には、山形藩の大庄屋(おおじょうや)を務めました。
江戸、明治、大正、昭和と農地を拡大し県内でも屈指の大地主に成長しました。
昭和初期に、小作米が約4,500俵、所有する農地が約146ヘクタールあったことが記録されています。
直接、農業経営も行っており江戸時代後期、紅花の生産量は特産地であった村山地方で最大規模を誇っていました。
地主経営の他にも商業や金融にも進出し発展しました。
また、学校の創設や産業振興、社会救済のため度々寄付を行うなど、地域の発展に大きく貢献しました。
九左衛門家は、敷地約2,300坪で建物も約360坪(約1,200㎡)と広大な屋敷に庭園を築き、
母屋を中心に仏蔵、前蔵、西蔵が互いに廊下でつながり、その他、多くの蔵や小屋等と一緒に堂々たる屋敷構えを今に伝えています。