一族と黒塀のまちなみ
重要文化財 旧柏倉家住宅(九左衛門家)の周辺には、惣右衛門家、喜作家、清右衛門家、九郎兵衛家(非公開)、喜右衛門家(非公開)など、柏倉一族の屋敷群が近接して建ち並んでいます。
それぞれ広大な敷地と庭園、重厚感のある蔵を持ち、各家の周りを黒い板塀が囲み美しい景観を作り出しています。一族による大屋敷群がまちなみを形成している点は珍しく、また自然豊かな里山の清水が旧家を巡り、なだらかな丘陵の合間に果樹畑や竹林が連なる風景は趣深いものがあります。
人々の暮らしと里山、歴史、芸術文化、建築、農作物が一体となった【黒塀のまちなみ】。どこか懐かしく、原点に帰れるようなまちなみでお気に入りの場所を見つけてみてはいかがでしょうか。
柏倉一族の家紋
*一族共通の家紋(丸にカタバミ)と各家(現在、公開等を行っている家のみ)の家印
まちなみと各家
柏倉家住宅と黒塀のまちなみは「やまがた景観百物語」のビューポイントに選定されました!*
黒塀のまちなみ
国指定有形文化財「旧柏倉家住宅」を中心に総延長約1,000mにも及ぶ黒塀が続いています。九左衛門家に残る江戸時代の絵図には、敷地の境に柴垣と思われる絵が描かれていますが、明治から昭和戦前期にかけての古文書には、板塀の新築工事や修理をしたことが記録されています。このことから、江戸時代までは屋敷境を生垣や簀垣・土手・石垣などで仕切り、明治時代以降に板塀を形成していったと考えられています。
最上堰(農業用水路)
1888(明治21)年に柏倉一族の出自である柏倉文四郎と、安孫子兼治郎が中心となり開削した農業用水路です。当地は長年干ばつに苛まれていたことから文四郎が17歳の時に最上川上流からの分水を構想。それから約30年に渡る苦難を経て、全長23km(3市3町),約710ヘクタールの田畑を灌漑する堰が完成しました。これにより、県内でも有数の田園地帯となった当町は、10アール当たりの稲作収穫量は全国でも上位を記録しています。(管理:最上堰土地改良区)
国指定重要文化財
旧柏倉家住宅(九左衛門家)
柏倉一族の総本家であり、九左衛門家をはじまりとして15家以上の分家・孫分家を創設し、農業・地主・金融業の様々な事業を一類(同族集団)で分担して共に繁栄しました。※詳細は「歴史とみどころ」へ
町指定文化財
旧柏倉惣右衛門家住宅
柏倉惣右衛門家は1724(享保9)年に九左衛門家から最初に分家した家柄で、古くは紅花出荷や古着商い等の商業や金融業を担いました。大正9~11(1920~1922)年にかけて建てた主屋や、蔵などが優れた建造物として町の有形文化財に指定されています。現在は、旧柏倉家住宅の催事等に合わせて特別公開をしています。(町有地/管理:中山町教育委員会)
柏倉喜作家(みんなの居場所 岡縁里)
1817(文化14)年に喜右衛門家から分家し、歴代の当主には柏倉雪章(旧柏倉家住宅仏間の欄間等のデザインを手がけた)や考古学者の柏倉亮吉などがおり、文化芸術に造詣の深い家です。現在は、誰でも自由に過ごせる交流の場「みんなの居場所 岡縁里(おかえり)」として、様々な活動が行われています。また、敷地内のOraiカフェでは野草や農産物を使ったオリジナルメニューを楽しめます。(管理:NPO法人柏倉家文化村)
柏倉清右衛門家
1762(宝暦12)年に2代目惣右衛門が隠居別家して創設し、かつては紅花商人として活躍しました。現在は主屋を使って紅花染め体験や民泊事業等を展開しています。敷地内では紅花畑、隣接地にはリンゴの果樹畑が広がるなど、実り豊かな風景をたのしめます。(管理:NPO法人 黒塀の里山保存会)
そのほか周辺の文化財
県指定文化財
町指定文化財
岡村観音堂
最上三十三観音の第十四番札所に当たる観音堂です。本尊は全国的にも珍しい十八の面を持つ千手観音菩薩立像で、両脇侍の不動明王立像、毘沙門天立像と合わせて三尊一具として制作された考えられています(推定:鎌倉時代作)。観音堂は1720(享保5)年に再建したもので、三尊の仏像は県の有形文化財に、建造物は町の有形文化財に指定されています。(正法寺/管理:岡村観音堂世話人)
【黒塀のまちなみ保存活用協議会】
旧柏倉家住宅(九左衛門家)等の町有地化をきっかけに、16代当主柏倉桂子氏の事業に協力していた各団体を集めて平成29(2017)年に立ち上げました。貴重な地域文化遺産を保存活用し、後世に伝えるための取り組みを支援する活動を行い、町の活性化に寄与しています。
■活動内容
黒塀の景観保全活動、紅花まつり・ひなまつり等歳時の開催
※本活動は山形県「未来に伝える山形の宝」登録制度の重点テーマに採択されています。
■事務局
中山町教育委員会、中山町産業振興課